死生観について(2回目)

前回の死生観から、約2週間がすぎました。その間、何を考えていたかといいますと、つぎの2つのことです。

① 命の継続

私が、現在生を受けてこの世に存在するということは、如何に危ういものであるかということ。
どこかで、先祖が欠けると当然この世には私という存在はありません。
種の継続(命の継続という面もある)は、時間場所を共有した男女が双方縁を持って結ばれ子供をもうけるという子孫の存続が何世代にわたって行われてきました。
その中にあって、宇宙規模の時間を考えると私の生存期間はホンの一瞬の時間でしかないのです。
地球上の全ての生物は、当人の意識にもかかわらず地球誕生から今まで、更にこれから先も脈々と続いていく。
この命の不思議さは、宇宙に存在する「大いなる何かの力」のなせる技と考えるしかないのではと思います。

② 次の世代に何を残すか

次に命の継続にも関係するが、この世に存在した証、何かこの世で残すことができるのかと言うことです。
一人の人間として個人的に非常に魅力的な男、アップル創業のステーブジョブ氏が、死を前にした言葉に非常に感銘を受けました。
ここに、掲載させて頂きます。彼ほどではないが、何が出来るか考えていきたいと。