
1 20代女性の「愛だけでは....」
この間、若い女性の同僚社員と昼食をともにする機会がありました。
私は、団塊世代の高齢者で世代間ギャップもあり提供できる話題もなくもっぱら聞く側に回っていました。
この日の話題の中心は、若い女性の関心事、恋愛について交わされていました。
4年間お付き合いされているが、なかなか結婚まで結びつかずにいて今後どのような進展になるのかとのことでした。
双方の言い分はあるのでしょうが、最大の関心事は結婚をして共に生活をしていくことには、お金が掛かるというのです。当然ですよね!
結論は、「愛だけでは生きていけない」とのこと。
毎日生活するにはお金は必要なのです。
私自身も当時を振り返ると、悲しい現実ですが「金の切れ目が縁の切れ目」ということで別れてしまったカップルもありました。
2 70代女性の「愛だけでは....」
さて次のテーマは、若いカップルも結婚して家庭を持ち、子供を育て、時が過ぎていきます。そして双方とも、私のように老年期になります。
今のお年寄りは、平均寿命が伸びて、健康で病気知らずで元気に過ごすことになります。
最大の落とし穴は、身体は丈夫でもある日突然?、又は知らず知らずに認知症の症状が現れることです。
日常生活において、記憶力の低下、正常な理性判断ができず家族に迷惑をかける行為が出てくることです。
最悪、事故や事件等のケースになることもあります。
ここで、ある認知症の紹介記事の中で、ご主人が認知症を患い、家の中で日々大声で怒鳴り散らすので、もう耐えられないと年老いた妻が切実に訴えているのを読みました。
それが、彼女の「愛だけでは耐えることはできない」という現実があるのです。
日本では、まだ狭い家庭の中で、介護を行っているのが多いのではないでしょうか。
介護負担の軽減は、家庭内の狭い空間ではなく、広い地域社会の共助公助でケアをするシステムで対応を図っていくようにしなければなりません。
そうしなければ、「老々介護の末の悲惨な事件」も増えていくのではないか心配です。
3 思い出は、失なうことのない宝物
「あばたもえくぼ」の恋が「あばたがあばた」となるのが愛ではないでしょうか。
恋は、一時的ですが愛はお互い永久的に続くものと考えています。
二人が夫婦となり、生活をしていくにはやはり愛がなければ、できません。
それは、お互いが幸せになることを考えなくてはならないからです。
そこがクリアできれば、あとは何とかなるというのが私の経験からいえます。
しかしここで残酷な事実として、幸せに一緒に過ごすことはできても、いつかは別れが来るのです。
どちらかが亡くなるか、認知症のような病気による自身の存在喪失が、いつどのような形で二人の前に現れるか誰にも分かりません。
神のみぞ知ることなのです。
末永く穏やかに過ごすことを望んでも、かなわないのです。
そこで、私からのお勧めは、若いときから二人の「思い出」をたくさん作ることです。
思い出は、生きている限り失うことない大切な宝物になります。
物理的な共有物は災害で失うことはありますが、思い出は、その人が生きている限り失うことなく、二人が生きた証をはっきりと見ることができるのです